どうせ生きるなら

お気付きの方もいらっしゃると思うけれど、

わたしの最近の宗教は紛れもなくSKY-HIであって、

彼によって生かされていると言っても過言ではない。

 

今も頭の中で彼が歌っていて

「ネガティブな気持ちは悪かい?」

と問いかけてくるわけである。

 

わたしは。

わたしは今とてもネガティブで。

 

そうちゃんがね、わたしの調子があまりに悪いものだから、

有休でもないのに休みをもぎ取ってくれて。

わたしは素直にそれを喜びたかったのだけれど、できなかった。

 

ネガティブが勝ってしまった。

 

今日、わたしたちは早起きをして、近所をお散歩したのね。

悲しい哉、そうちゃんはわたしのために時間を使いすぎているように思う、そして、それが原因で睡眠不足になってしまった。

「お疲れでしょ、」

って彼女は言うんだけど

疲れてるのはあなたでしょう、ってわたしは思う。

 

そうちゃんがさっき、とてもとても眠たそうにしていたので

わたしは「寝なさい」、と少し叱りつけてしまった。

 

どうしてかなあ。

「わたしのためにありがとう」とも

「疲れてるでしょ?早く寝てね」とも

やさしいことばの一つや二つ、出てきてもおかしくないはずなのだけど。

 

わたしはどうしても素直になれなくて。

そして、眠たげなそうちゃんを見ると寂しくなってしまうんだな。

 

完璧な人間なんていないのに

わたしは完璧を求めてしまう。

 

自分が嫌いだ。

 

そんなわたしの最近のお気に入り曲は、とてもやさしい。

 

「僕は人間 忌み嫌った物も人間

 でも僕が愛した君もまた人間

 僕が愛した 君が愛した 僕を愛してみるよ

 それが君が君を愛する理由になるなら」

 

(だからわたしも少しずつ、自分を愛せる自分を創りたい)

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