遺書ではないさ!

もう少しでまた一つ年をとるっていう時に、ああ今書かないと後悔するのかなあなんて思うことがたくさん頭にぶわわっと浮かんだ。

 

ここ数日、わたしはまた死というものを身近に感じていて、そう遠くない未来に自死しちゃったりなんかするのかなあ なんて思っていた。

不安定であったし、この先生きていける自信もなくなっていた。

 

でもそんな時に、強く思うようになったのは、

「わたしの今までの苦悩は、もう全て清算済み、チャラになっているのではないか」

ということ。

 

わたしは幸運にもそうちゃんと出会えて、

そして多くはないがとても良い友人たちに出会えた。

 

もうそれだけで、これまでの人生の苦痛を全てなかったことにできるくらいの、ハッピーを神から授けられていたのではないかと思うわけで。

 

それは確実に、死が身近になってくれた“おかげ”で感じられたことだとは理解していて、わたしがここまで今苦しんでいるから見えてきたことだと思う。

 

最近はこの世に未練を感じなくなってしまって、死への恐怖もとことん薄れた。

でも、死ぬ前にしておきたいなあ ということもできた。

それは、出会った人、思い浮かんだだけ全員に、伝えたいことを記したい。

 

無理だとは判ってる。

でも、それこそ家族、パートナー、友人、お世話になった人だけじゃなく、わたしをいじめたやつとか、わたしが聴いてきた音楽を作ってくれた人とか、そういう 本当に全てのひとに何かを伝えたい。

 

わたしは未だに理解できないことがあって、

どうして友人たちはわたしに無償の優しさをくれるのかとか

どうして周りの人間がわたしを見捨てないのかとか、

本当に本当に疑問で

 

正直、最近体調を崩していたこともあってすごく迷惑をかけた方もいて

そんな人でさえ、未だにわたしを好きだと言ってくれて、

「わたしはそんな好いてもらえる何かを、その方にしたことがあっただろうか?」

と、本当に頭を悩ませているところで。

 

たぶん。

わたしはこれから先も生きて、その人たちに返していかなきゃいけないんだと思う。

優しさとか、愛とか、そういったものを。

 

でも今のわたしにはそれをできる余力もなく、

それをできる未来も想像がつかない。

 

本当に申し訳ないなあ、としか、

 

でも、だからこそ今できるのは、

今のわたしが、できることをしなくちゃいけなくて

それはたぶん

生きるってことだと思うんです。

 

こんな自分なんか、と思う瞬間ってたくさんあって

死んだっていいや、生きてたって仕方ないもん、って

思うんだけれど

でも心のどこかで判ってるんです。

 

わたしが死んで悲しむ人もいるんだって。

 

そうちゃんにも、友人にも、

こんなに愛をもらってしまったんだから、

わたしが今できることってきっと

生きてえ って、

死にたいのが悔しい って、

泣くことだと思うんです。

 

毎日、死にたくて泣いているけど

今みたいに、気付いていられる時間が長くなれば

もう少し、もう少しって

生きていける希望みたいなのが見える時間が長くなれば

 

わたしだって本当は、

死にたいって泣くんじゃなくて

生きてえって、泣きたいはずなんだって思うんです。

 

もう少しで年をとる。

わたしはその一年を、

生き抜くことを目標に、毎日、生きるよ。