靄の中に取り残された気分です
生きているのがつらい。
はっきりとした理由も判らないが、ただただ毎日つらくて 終われたらどんなに楽だろうかと考えている。
わたしは自分の置かれた立場が割とよくわかっていると思う。
家族がいる。
父としての父は居ないし、仲が悪くなってしまって、複雑な間柄の疎遠な兄弟もいるが、基本的には仲良くやっているし母親にはとても気にかけてもらっている。
優しく、理解があって、なるべくそばに居てくれようとするパートナーも居る。
ふわふわの猫も二匹居る。
友だちも居る。
セクシュアリティの部分や、メンタルの部分で、ある程度生きづらさは感じるものの 他を見ていけば、「しあわせだ」と感じるには十分すぎるものが揃っている。
あくまでわたしは“不幸なわたし”に酔いしれたくはない。
もうそんな黒歴史のようなことにはなって欲しくない。
でもなぜだろう、「しあわせだ」と笑えない。
そして それがわたしを追い詰める。
しあわせなはずなのに。
恵まれている、こんな風に毎日死にたいとぼやいているのは失礼だ、
わたしはどうしてこんな状況でも「しあわせだ」と思えない?
ずっと考えている。
昨日、また全てが絶望にしか思えなくなって、今朝はまぶたが腫れている。
最近、おかしい程に体調が崩れている。
長引いている副鼻腔炎は、医者には手術を勧められていて、次の通院までには決断しなくてはならない。
一週間の入院付き。猫の点滴もまだやっているから、簡単には決められない。
体の節々がわけもなく痛くなることも多い。
生理が二ヶ月来なかったこともあったし、頭痛や歯痛などで鎮痛剤を飲みまくったのも割と最近。
ここ数日原因不明の腹痛(おなかであることは判るのだけれど場所が転々としている気がして、どこが痛いかはっきり判らない)が続き、うんざりする。
不安定になると、色々なことが大きな波のように押し寄せてくる。
なんでしあわせだと思えないの?
なんでこんなにわたしは病院ばっかり、薬ばっかり。
わたしの病気はいつ治るの?
死にたいって本気で思ってからどれだけ生きただろう。
“日常”が苦しくなってしまってからは何をしていても楽しくないな。
わたしが居るから大変な思いをする人が居る。
本当に生きてて楽になる日はくるの?
でも今までずっと苦しかったんだから、もうそれを取り返せるほどのしあわせなんて存在しないのでは?
延々と頭の中を何かの思考が泳いでいる。
最悪な気分になる。
そうちゃんにひどい言葉を浴びせてしまうとき、自分はなんて愚かなんだろうと思う。
わたしをしあわせにしようとしてくれている人間なのに。
ずっとずっと見放さないでいてくれているのに。
何が辛いのか問われると、すごく困る。
苦しいことは山のようにあって、
それを一つ一つ説明するのはとても困難だ。
でもそれらは本当に苦しいことなのか と考え出すと、
わたしには判らなくなってしまう。
本当は辛いことなんてなくて、わたしの勘違いなのかもしれない。
だから、今辛いこの気持ちも、何かの間違いなのかもしれない。
病院に行くと、大抵の先生や心理士さんには勘違いをされているように思う。
わたしは外出もするし、笑いもする。
たくさん“楽しい”ことをして生活している。
そんなことしていない・できないと思われている。
わたしは所謂フツウみたいに、割と“幸せ”な生活を送っている。はずである。
でも、本気で常に自死のことを考えている。
だめだ。
眠たくなってきてしまった。
わたしの苦痛は誰にも伝えることができないのに、
(だってわたしにも理解できないことだから)
こうやって誰かが見てくれるようなところでまたぼやいている。
頭の整理にはなるかもしれないけれど、
根本的なところでは何も解決していないのを感じる。
この眠気をどう解消するか、寝るか、無理やり起きているか。
わたしには残り少ないそうちゃんの休日をどうにか楽に過ごさなければいけないミッションがある。
クリアできなければ、火曜日からの地獄はほぼほぼ確定なのだ。