今に違和感を覚えながらの毎日。

今日はそうちゃんが休みをもぎ取ってくれた例の日であって、

わたしは朝からいい気分になれるもんだとばかり思っていた。

 

だけど、実際には朝から気持ちはずんっと暗くて

わたしの不安定さを露呈させる結果となった。

 

調子がよかったら夢の国にでも行って、なんて思っていたけれど

わたしたちが向かったのはそれとは正反対の、いわゆる病院だった。

 

そして、わたしは緊急外来で診てもらい

初見の先生の前でめそめそと泣き崩れるという面映ゆい結果となったわけで。

 

そのあと、そうちゃんと一緒にお出かけして美味しいロールケーキを食べたんだけどね、

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楽しい時間を過ごすと、心臓がもぞっとするようになってしまった。

 

今はおうちに居るけれど、

わたしが相当しんどくなってしまった際には緊急入院が待っている、ということを知ってしまって、のちにわたしはいろんな映画のシーンに思いを馳せ ることになる。

というのも、今までなんとなしに観てきたシーンが、感慨深いものになったのだ。

 

例えば。

入院、または更生施設に入った人間が脱走してきたり。

入院の合間に、休暇のように、家族と触れ合える時間をもらった主人公だったり。

そういう人の気持ちというのは、なんとなく「ああよかったねえ」だとか「脱走しちゃって大丈夫かなあ」とか、ふんわりと観ていたのだけど。

 

もしかしたら。

その入院生活と、家族と触れ合っている、いわゆる楽しい時間というものにギャップが生まれ、苦しいのではないかとか。

なんだろう、うまくは言えないのだけれど、入院生活(わたしの場合は入院を突きつけられただけだけど)と楽しい時間、どちらも非現実的に思えて、どちらにも足がつかない宙ぶらりんな気持ち、にはならないのだろうかと。

家族と会えて、逃げて来れて、幸せな気持ちと、

さっきまでの入院生活は本当に自分の現実で起こったことなのか?という疑問と、

逆に、この今あるしあわせが本当に自分のものなのか?という疑念と。

なんだか、足がつかない気持ちに、わたしはなった。

ぷらんぷらん浮いていて、わたしはどこの現実にも属さない、存在しない人間にでもなったかのような。

 

とまあ、いろんなことを考えたわけです。

 

映画の主人公に感情移入することは結構あるけれど、

自分が体験しないと測り得ない気持ちというものもやっぱり大いにあるのだな、と痛感した日でした。

 

(母には、本当にきつくなったら入院して、最悪な自体は避けることを約束してね、と言われたので、わたしはGWまでとりあえず頑張りきらないといけない)

 

本当は今、入院して隔離されていてもおかしくない状況なのだろうけど、

寛大に見守ってくれる周りのひとに感謝して。

 

さあ、今日もパンが焼けたよ。

今日はゴマのパンなんだあ。